【冒頭紹介】はるかかなた「Burning with Desire」

 大阪の大学で芸術学を専攻し、軽く就職活動などもしてみたものの、結局そのまま修士課程に進んだ。2年目の夏には学位のための論文を書き始め、授業が休みになっても刺すような日差しの中を泳ぐようにして大学に通っていた。もともと自室で作業のできない性分だったし、隣の部屋からは昼夜を問わず、ちょうど耳障りな程度のテレビの音声が延々と聞こえ続けていたのだ。

 院生室は手狭だったが、その時はほとんど一人で好きに使うことができた。二人いる同期はどちらも留学中で、先輩と後輩は帰省中だった。夕方のアルバイトの時間まで、薄暗く冷えた部屋で誰とも話をせずに過ごす日々が続いた。

 佐野が電話をしてきたのはそんな時期だ。8月の半ば頃か。佐野はわたしの学部時代の友人だ。わたしの所属していた写真サークルのコアメンバーで、定期的に一緒に小さな展覧会を開いたりしていた。2メートル近くある身長といかつい体格の割にはおとなしい男で、だいたい喋りっぱなしのわたしの話を何時間も聞かされる役回りだった。

 着信があった時、わたしはひとりで古い論文を読んでいた。事務机の上でiPhoneのバイブレータが突然に響き、わたしは一瞬、ポルターガイストに遭ったように飛び上がった。

 ディスプレイに表示された佐野の名前は、ほとんど1年半ぶりに見る文字列だった。電話を取るとまず降るような蝉の声が耳を刺した。佐野の声は不明瞭で、しばらく聞いているうちに少しずつ輪郭がはっきりしてくるのだった。

「……し? ------こえへん? もしもし? もしもし?」

「……うん」

 驚愕にまだ半ばとらわれたままで、わたしは右手のボードを凝視していた。佐野が撮った写真のなかで、わたしが一番気に入っていたものが、そこに貼られている。大学のそばの河原で行われた野焼き。墨を流したような煙のなかにちろちろと暗い炎が覗く――荒涼とした地平、灰色の空。

 いくらかの他愛ない言葉が交わされる。いや、今日はまたえらい暑いなあ。今、何してんの。……修論。あ、そっかそっか、お前ほんま、そういうの、よう書くよなあ、よう書くわ。時間大丈夫? うん。

 そして一瞬の沈黙があり、ほんま、急にごめんやけど、ちょっと聞いて欲しいねん、と彼はこんな話を始める。まるでこの1年半のブランクが、まったくの幻だったかのように。つい昨日別れたばかりの、親しい友人に語りかけるように。

〈本編に続く〉

【冒頭紹介】佐多椋「XMS/eXperience Management System」

1.

 

【コーディング】

 

 こんなところで縁日が行われていたのか。

 昼過ぎに起きてから自宅に籠って鬱々と過ごした休日の終わりだった。夕食を調達しに外に出た彼は、微かに聴こえる祭囃子に誘われて辿り着いた光景を漫然と眺めながら考えていた。

 ……そもそもここは、神社だっただろうか。就職と同時に引っ越して三年が経ったが、確かに、駅から反対側にあたるこの周辺にはあまり来たことがなかった。とはいえ、まったく訪れたことがないわけでもない。こういう、目立つ場所があれば記憶しているはずだった。急に出来上がるものでもないだろう。

 しかし、そんな彼の思考とは裏腹に、陰暦のひとつを冠したその神社の境内では、人々のざわめきが活気となって溢れ出ていた。彼はふらふらと鳥居のなかへ踏み入る。夕食は、ここで済ませてしまえばいいだろう。

 鳥居から拝殿までの距離はそう遠くないが、その間に十ほどの露店が軒を連ねている。彼は節操なく周囲を見渡し、どれに立ち寄るか考えていた。

 考えてみると、子供のころまで遡ってもこういう場所で買い食いをしたような記憶がほとんどない。両親に連れられて初詣に来た先にはこういう露店があったが、衛生上どうとかいう理由で立ち寄らせてももらえなかった。

 

 ふと彼の眼に止まったのは射的屋だった。こういうゲームを試しにやってみたことすらない。なんとなく気が向いたので、食べ物はあとにして射的をしてみることにする。

 店先にいた老婆に小銭を払い、射的銃を受け取る。自分では真剣に構えているつもりなのに、通りかかった子供がくすくす笑う声が聞こえた。萎える気持ちをなんとか整え直して、どうせならともっとも景品としての格の高そうな携帯ゲーム機に狙いをつける。引き金を引くと弾はまっすぐに命中したが、パッケージはびくともしなかった。その後も当たりはするのだが、獲物は微動だにしない。そのまま弾が尽きた。

 どうせ細工がしてあるのだろう。無愛想な表情を抑えようともせずに銃を老婆に返し、彼は踵を返した。不意に周囲のすべてが滑稽に思える。遠くに、綿飴を持ってはしゃいでいる子供が見えた。周りを見回すと、子供か親子連れしか見当たらない。こんな子供騙しの場所から抜け出して、コンビニで弁当を買ってさっさと帰ろうと思う。明日も早い。

 元来た道を引き返し、鳥居を抜ける。その瞬間、祭囃子が聴こえなくなり、明かりが消えた、と彼は感じた。しかしそれは誤りで、実際は祭囃子や明かりではなく彼の意識が途切れたのだった。

〈本編に続く〉

【冒頭紹介】吉永動機「たしか、映画でこんな話があった」

 暗い部屋の中で映画を観ている僕の顔は、どんなだろう。様々に明滅する光を顔面に受け、瞳孔の大きさがめまぐるしく変わる。もちろん、それを自分で確かめることは難しいし、そうしてみる気にもなれないのだけど。

 とうに夜も更けてしまった。部屋の中は冷蔵庫のように寒い。僕は歯を静かに震わせながら、毛布にくるまっている。まるで調理される時を待つ玉ねぎか何かになった気分だった。

 明日も仕事で、もう眠らないと体調に響きかねない時間だ。なのに、黙々と映画を観ている。

 一体、何が僕にそうさせているのか、さっぱりわからない。実のところ、僕は映画好きというわけでもないし、かといって仕事上必要だから仕方なく観ているわけでもない。

 では、どうして僕は毎週TSUTAYAで映画のDVDを借りて、それを必ず観てから返すのか。どうしてそんな習慣を、中学生の頃から一度たりとも絶やさずに、実に十年以上にわたって継続しているのか。

 片隅に置かれたDVDケースを手に取り、映画の収録時間を確認する。観始めた時刻から計算すると、あと十分ほどで映画は終わるようだ。……であれば、今映っているのはクライマックスのシーンということになる。

 逆に言えば、時間で計算しないと、今ぼんやりと観ているシーンがクライマックスであるとわからない。これは悪い癖なのだが、僕はいつも映画を観ながら別のことを考えてしまい、ストーリーから置いてけぼりをくらってしまうのだ。今日もその例に漏れず、僕は目の前の画面の中で主人公の男が必死の形相で走っている理由を知らない。

 残りわずかとなった缶ビールをぐいっとあおり、飲みほす。テレビ画面にうつろな視線を投げかけ、ラストシーンを見届ける。涙するでもなく、ただなんとなく、今観た映画の重要性について大きな示唆を与えてくれたのではないかと考えた。

 それが何かはわからないけれど、この映画は僕に教訓を語りかけている。何かを学ぶべきだと囁いている。

 必ずしも明確な答えを見つける必要はない。ただなんとなく、映画を観終えた後に、ふと画面から外した先に広がる風景が、いつもと少しでも違って見えればいい。

 たとえばそう右手に持っている空っぽの缶ビールがワインだったとしたらどんな気分だったろうとか。そんなシンプルなことでいい。想像の目で物を見るのだ。

 あとはそう、この空き缶を捨てるのにかかる手間が省けたらいいのにとか、いつも寝ている固い布団がふかふかのベッドだったら……とか。

〈本編に続く〉

【冒頭紹介】言村律広「残った夏」

 三四〇二(永明三)年の梅雨は早くに降り止み、エドニ国の空にはもう夏空を思わせる活気のある青と、新品の褌のような白い雲と、西の空からは半裸のおっさんたちが飛んで来ていた。おっさんたちは鉢巻を締め、雲の白さの褌の、腰と股とでT字を成して幾重にも巻いた帯の太いものを締め、他は露出している。風を切り、目は過ぎ去る地上を辿っている。量感のある突き出た腹と胸の肉が煽られて波打つように震えるが、反対にその背は筋肉が浮くほどに鍛え上げられていた。両腕を広げ、掌を進行方向に向けて飛ぶ様は、雲竜とでも呼ぶべきか。腹の肉に劣らず太い四肢は、隆々とした筋肉によるもので、吹き去る風にも微動さえしない。鉢巻の上では、後ろへ撫で付けた前髪と、伸ばして折り返した後ろ髪とを結った髷が、これから来たる戦いに向けての興奮を語るように空気を揺さぶっていた。

 その数は三十ほどであろうか。

 

 東西に長い島の、北の海に接してエドニ国はあり、東の大河が生まれる南の黒岩山脈が西まで続いて国境を成していた。今から五世紀前のこと。現在でこそ、ここ第二地球でも主要国家に数えられて、銀河団連盟でもそこそこ国家に数えられているが、当時は大違いの小国であった。エドニの他にも島には多くの国があり、そのほとんどは東端の帝の威光により細い連携を保っていたが、大陸の大国タヴォス連邦の影響が西から入ってきていた。

「失礼します」

 廊下から声をかけると、人体電磁情報研究所、通称人電研の営業四課のエースであるラム・キュラスは、ゆっくりとドアノブを回し、じっくりと扉を押した。

 人電研のような民間研究所がエドニの軍備に貢献していた当時の国家予算は、現在の一パーセントにも満たない。その中から、政府は開発分野を絞って奨励金を出していた。それは、エドニの西、黒岩山脈を越えたところまでタヴォスが迫り、そこにアニハク共和国が建てられて、戦闘が繰り返されているからだった。

 陸軍の補給部隊長の部屋に入るラムの、熟成した赤ワインの色の、スーツを丸く緊張させる尻の揺れを追って男が二人、人電研の作業外骨格をまとってついて行く。

 彼らが扉を閉めている間に、ラムは部屋の主へ一礼した。ミドルロングの赤と見違えるほどに濃い金色の髪がひと房、ワインの肩の暗色の赤の上を通って、薄紅を刷いた白い頬を撫でるように垂れた。

「やあ」

 応えた中年男の視線が、ラムの伏せた鼻先と顎を通って、その先を探るのに十分な時間を置いて、そこに何かを見られはしないことを承知していながら、彼女は上体を起こしつつ、鞄を持っていない方の腕を、抱える書類封筒で胸を隠すように体の前に添えた。こうした古風な営業職の服装や持ち物を使うのは、以前に公共機関の営業部署に居たときからのラムのスタイルだったが、四課の主要顧客である軍事方面においても、保守的な人間の多いせいか、彼女に抜群の営業成績をもたらしていた。

 立ち上がった中年男が歩いてくる。陸軍の補給部隊長ハロルド・ワダもまたラムのスタイルが大好きな一人であった。太い眉と太く蓄えた口ひげの、浅黒い顔の中でもいっそう黒いそれらの線を、彼女の腰つきに負けないくらい笑みの形に曲げて、簡易な応接セットを三人に手振りですすめる。

「いえ、彼らはメンテナンスに来ただけですので、ご挨拶のみで」

 ラムが言うと、後ろの男たちは順にハロルド隊長と握手をした。触れた手の人体電界を通じて名刺情報が交換され、ハロルドの目に入っているレンズに表示される。年長の方がサス・サスラマ、人電研の第三種装置開発局で精霊鎧装班の班長をしている。もう一人がその開発メンバーのアワゾ・オザワ。他に趣味など簡単なプロフィールが表示され、社交辞令が済んだところで、ラムはそそくさと二人の背を押して扉へ向かわせた。

「さあもういいでしょ。邪魔よ邪魔」

 音になるかどうかの声で言うと、サスが応えて、

「はいはい。ジョウジがうちのも売り込んでくれって言ってたぜ」

 とだけ伝えて廊下から扉を閉めた。ジョウジ・トンシュはサスの隣の部署である衛星兵器班の班長である。

「売れればね」ラムが唇だけで呟く背後で、ハロルド隊長はデスクの通信機で部下の精霊鎧装管理主任エノン・ラクイチを呼び出し、メンテナンスに来た二人の案内を命じていた。

〈本編に続く〉

 

【冒頭紹介】高村暦「invisible faces」

 人生で一度も撮ったことのないものがある。もちろん世界じゅうにカメラで撮れるものはたくさんあるから、撮りきれないのなんて当たり前、といえば当たり前だ。ただ、それは、いつだって、どんな風にだって撮れた。本当は、いちばん撮りやすかった。でもあんまり大切だから、とても写真紙に写し取ることなんてできなかったのだ。それは、暴力だ。そんなことをしたら、すべてが形無しになってしまう。まったくカメラという機械の身勝手さには、ほとほと愛想が尽きるっていうものだ。――それでも結局、カメラを手放せないのだけど。
 今にしてみれば、それで良かったのだろう。撮らないことこそが、僕の誠意だった。
 撮られること自体、少ないのだけど、遺影にする写真だけは決めてある。証明写真機が撮影したその四枚つづりの写真のうち、左隅の一枚だけを切り取って遺書のなかに入れておいた。当時、ちょっとばかり危ない業界に近いところへ足をつっこんでいたので、念のためと思って二十四歳の春ごろ、隣駅のドトールでオレンジジュース片手にまる三ヶ月もかかって書いたのだった。それにしても、遺書っていうのはどうして文字で、というか、言葉で書かなきゃならないのだろう。昔から自分の意見とか気持ちを説明するのがとても下手で、使うべき言葉はよくわからないし、避けるべき言葉も知らない。職場近くのジュンク堂で買ってきた『人生のエンディングマニュアル~理想の最期を迎えるために~』みたいなのを見ながら財産整理のこと(財産ってほどのものは、ないんだけど)を書くだけでも、もう手いっぱいだった。ましてや家族や親戚,あるいはそのほか大切な人たちに向けての言葉、ともなると、何をどう書けばいいのだかさっぱり見当がつかなかった。ふつうは、何かさらさらと書けるものなんだろうか。自分が死んだ後に読んでほしいメッセージ、どうしても言っておきたいこと。そんなもの、一言も思いつかなかった。仕方がないから地元の中央図書館で御礼状の書き方マニュアルを借りてきて、それをほとんどそのまま写した。我ながら二重丸を付けてやりたいほど不自然な文章になった。
 法的には立ち会ってもらって封をするとか何とかして……と書いてあった。けれど時間にもお金にも余裕がないので、アロンアルファを買ってきて封をして縦ふたつに折り、カメラケースの内側にぐいぐいと押し込んでおいた。意味があるんだかないんだか分からないけど、ひとつ、必要な仕事をしておいた、という気分になった。
 例の写真を撮ったのは、その一度目の遺書を書いて二年くらい経ってからだった。あっそうだ、と思い立って、カメラケースからアロンアルファでくっつきすぎた前の遺書を出してびりびりに開けてもう一回、同じ文面を書き直して、例の写真を入れてまたアロンアルファをした。
 僕たちと同じ世代の人なら、多分みんなそうだと思うけど、自分から手紙を出したことなんて、ほとんどない。電話、メール、それから最近はSNS。手紙っていうと学校で書かされたお礼状がせいぜいで、それが勉強にも何にもならなかったのは、お礼状マニュアルが図書館に何十冊と並んでいることからも、よく分かる。
 だからこの遺書は、僕が初めて書く「ちゃんとした手紙」だった。そして、届かない方がいい手紙だった。でも、これが誰かに届く方がいいのかもしれないとも思う。つまり、届く人がいなかったりだとか、自分のもとに、誰か他の人から届いたりするよりは。生き死にと一緒に動く手紙なんて、やっぱり、受け取りたくないものだ。

〈本編に続く〉